最新の記事一覧

--/--

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

05/10


今日、知り合いが突然、錯乱状態になり大暴れした。周りにいた人や駆けつけた救急隊員が必死になって取り押さえようとしたが収まらず大変な事に。

その後、昏睡状態に陥り救急車で搬送された。幸い命に別状は無かった。原因は低血糖。糖尿病で空腹時にインシュリン注射をしたため。糖尿病の人は高血糖だけでなく低血糖にも注意しなければならない。

あらためて糖が体にとって重要な物である事を思い知らされた。糖質の取りすぎは体によくない事は周知の事実だが、問題はやれAGEだの、体に必要の無いものだの、毒だのと極端な食生活を実行したり教えたりする者がいる事だ。

実際に間違った食事療法を教えられた結果、極端な糖質不足の影響で慢性的な病になった人をカウンセリングした事がある。

低血糖になると体の様々な所に悪影響がでる。特に脳が顕著で発汗やめまいなど様々な自律神経症状が表れ、重症の場合は錯乱や昏睡状態を引き起こし命に関わる事もある。

薬以外の影響で低血糖になる事はまれだが膵臓癌などの病によるインシュリンの過剰分泌や極端なダイエットや食事、断食でなる場合もあるので注意が必要だ。

04/13


昨年の10月位から肩の痛みと腕の痺れがあった。またいつもの腕の使いすぎかと思っていたがなかなか治らない。

何と無く原因は他にある予感がして首のMRIを撮った。思った通り首の椎間板が痛んで来ていた。骨と骨の間のクッションの役割を果たす椎間板は年齢と共にヘタっていく。すると体はその負担を減らそうと骨が面積を広げようとして骨棘と言われる突起を作る。それが脊髄や枝分かれした神経を圧迫して腕のなどに痛みや痺れを引き起こす「頚椎症性神経根症」

骨棘は加齢と共に誰でも少しづつなるものだが、僕の場合は進行した原因が3つ。一つは19年、毎日一人で続けて来た調理の仕事による首への過度な負担二つ目に若い頃、大学までやっていた陸上競技(スプリンター)の過激なトレーニング。三つ目に15年やって来たジョギングによる首への負担。

ジョギングはメリットもあるが体の各部にある椎間板や軟骨の寿命を早めるなどのデメリットも。運動で骨は鍛えられても神経や血管の無い椎間板はへたるのみだからだ。

ちょっと人生頑張り過ぎた感(笑)若い頃から色んな病気を経験して来て健康に対する意識とお医者さんも教えてくれないような知識を経験の中から学ぶ事が出来た。

僕がスピリチュアリズムを基礎としたカウンセリング以外にも病気や健康の相談にのるのも色々な病気で苦しんで来た経験あればこそ。同じような苦しみにいる人の気持ちになれ一生懸命になれるのもその苦しみを知ればこそ。

その後、色々勉強していた。整形外科や整骨院の先生にアドバイスを頂いたりして、やれる事は何でも試した。にも関わらず約半年間症状の改善は全く見られなかった。もうこのままずっと腕の痛みと痺れを抱えたままかもとも思っていた。

しかし僕は普通にどこにでも手に入るある食材に注目していた。今回自分の中で確信が持てたのでご紹介します。僕が摂取していたのはゼラチンです。要するにコラーゲンです。スーパーに普通に売っている粉ゼラチンを毎日5g粉薬の様に飲んでいました。
コラーゲンは多くは胃や腸でアミノ酸に分解される為、飲んでも効果が無いとも言われています。しかし

コラーゲンは本来、体自身が作るものなのですが、最近の研究でコラーゲンを摂取する事でコラーゲンを生成する線維芽細胞が刺激されコラーゲンの生成が促進されるという研究結果があります。

簡単に言うと胃で分解されたコラーゲンをコラーゲン生成細胞が体のコラーゲンが壊れたと誤認識してコラーゲンを作ろうとすると言うのです。

それに加えてコラーゲンを作る時の必須栄養素であるビタミンCと共に摂取する事よってさらにコラーゲン生成を高められ回復に繋がるというのが僕の考え方だった訳です。

コラーゲンは肌、筋肉、腱、骨、血管、神経、細胞など体のあらゆる場所で使われている為怪我や様々な疾患の回復に効果がでる可能性があります。傷の回復や四十肩などにも効くはずだ。

但し、線維芽細胞がコラーゲンを作り始めるには体に何らかのダメージがある場合に限られるようでお肌への効果がある人と無い人がいるのはその為だと言われています。

飲み始めて10日後、腕の痛みと痺れの感覚に変化が現れた。その後途中、多少悪化する事がありました。それはスーパーのレジに並んでいる時の出来事。僕は痛みと痺れのぶり返しに自分の仮説は間違っていたのかと思いながらボーっとレジに並んでいました。

その日、買い物が多かったので商品を一つ手に持つ後ろのおばさんにレジを譲ってあげた。すると何とそのおばさんが会計した物はゼラチンだったのだ。その時「大丈夫」と言われた気がした。

気をとりなおし続けた。それから多少悪化したものの確実に腕の具合は底上げされなんと約1ヶ月弱で完治。約半年24時間苦しんだ腕の痛みと痺れから解放され喜びを噛み締めています。正直これ程効果が出るとは思っていなかった。約半年変化が無かった症状が1ヶ月弱で完治したのは明らかに回復力が促進された証だ。

僕は知った事や学んだ事を安易にシェアしたり人に教えたりしません。信じる前にとことん疑ってかかり必ず自分の経験から確信が持てたものだけを人に伝えます。

病気って苦しんでいる時は悪魔のようにも思えるけどけして無駄なものでも忌み嫌うものでも無い。それを克服したり精神的に乗り越えた時の喜びと得る物は苦しみに比例して大きく価値あるものとなる。そしていつしか病気にすら感謝の気持ちが湧いてくる。


12/30


ウチは昨日が仕事納め。今日から3日間のお休みを頂きます。今年は自分にとってみじかな親族や知り合い、知り合いのご家族が多く亡くなった年でした。

僕にとっても悲しく淋しい年だったけれど死はけして不幸では無く、故人にとって死は旅の終わりであり、卒業。そこで人生が終わる訳では無く生きる側面が変わるだけ。その人の歩みは場所を変えこれからも続いていく。

大切な事は故人が生前、お互いの歩みの中でたくさんの様々な経験や学び、感動を与えてくれた事への感謝。

そして故人が安心できるような生き方をする事。故人無き後、供養の仕方や整理、相続などで親族で揉め事やトラブルなんて事も少なくありませんが、故人はこの世を去ってもその人はその人。何も変わる訳でも特別な存在になる訳ではありません。

供養とは線香を手向ける事でも経を読む事でも供物をあげる事にあらず。真の供養とは新たな気持ちで前向きに、そしてぶれずに強く生きて行く事。幸せだと思える人生を歩んで行く事。又はその為に努力して行く事。

故人ならどうすれば安心してくれるだろう。どうすれば喜んでくれるだろう。そう考えれば供養とは何なのか、どうすれば良いか自ずとわかる。

12/07

昔、血液検査で一か所引っかかった数値があった。医者は毎週大量の薬を処方した。僕はその薬の量に疑問を抱き自分で調べてみた。すると確かに僅かに高い値。しかし通常は生活習慣で気をつける範囲内で投薬の必要のない数値である事がわかった。

以前、車を運転中に後ろから追突されて軽い鞭打ちになった事があった。数週間で痛みも取れたので主治医に今日で通院は終わりにしますと言った。すると医者はこう言った。「じゃあ、シップと薬、数か月分出しておきますね。使わないと思いますが常備薬として使ってください。」

ジョギング中に足を痛めた事があった。一応レントゲンを撮った所、痛めた場所に白い影が映った。医者は唸りながらこう言った。「これは切開して中の組織を取って検査に回さないとダメですね。」僕はその判断に納得いかず後日、違う病院で見てもらった。その結果「これは走りすぎで骨膜が剥離しただでけですね。少し休めば自然に治ります。」

ある人が親子で釣りに出かけた。そこで父の投げた釣りの仕掛けが子供の頬に引っかかった。慌てた父親は子供を抱き急いで病院に駆け込んだ。医者はすぐに手術だと言って釣針を頬の肉ごと切り取った。よく考えてほしい釣針は貫通していればどちらか一方をペンチで切断すれば難なく抜けるのだ。

勿論、こんな事ばかりでなく患者さんの立場に立ったアドバイスや判断をしてくれる立派なお医者さんたくさんもいます。何故こういう事になるのか。これらの話にはある共通した原因がある。みなさん感じる事がそれぞれおありかと思います。これに関しては割愛しますが大切な事は

病院はあくまでサポートをうける場所であり、病気だろうがケガだろうが治すのは病院でもお医者さんでも薬でもなく、自身の身体の免疫が自分で自分を治すのである。何の根拠もなく医者の言う事を聞かないのは問題ですが、自分の病気や飲む薬くらい自分で勉強して最終的な判断は自らの感性にしたがい判断すべき。お医者さんにまるっきり依存するのではなく、病気は自分で治すものだという認識が大切。そういう認識があれば自然と勉強するはず。また様々な生活習慣を見直し気をつけるようになるはず。





理想の夫婦

カテゴリ:人生哲学

10/19

​よく夫婦の問題の相談に対してあーしなさい、こーしなさいと事細かにアドバイスするカウンセラーを見かける。自分も相談にのることはあるが基本的なアドバイスはしても夫婦内の問題に口は出さない。

何故なら、夫婦間の悩みを抱える事自体が夫婦である事の意義みたいなものだから。様々な問題や悩みを共に切磋琢磨しながら乗り越え成長する。その為に夫婦になったのだ。

結婚する時にどんな時もお互いを支えあって生きていくと誓ったのだからよっぽどでないかぎり他人が口を出すべきでない。

「理想の夫婦」って皆さんはどう言う夫婦だと思いますか?

一般的に考えるのはいつも仲が良くて同じ方向を向いていて幸せに満ち溢れ、なんて考えるかもしれませんが

僕は理想の夫婦とは
考え方の合わない夫婦、価値観の合わない夫婦、趣味の合わない夫婦、食べ物の好みが合わない夫婦などとにかく正反対な事が多い夫婦を言うのだと思う。

そこには恋愛や自分にとって都合の良い愛と言った子供じみた愛だけでは到底うまくやって行けない大きな壁が存在する。

そこでうまくやって行くには「お互いの成長」と「本当の愛」を育んで行く事が必要になって来る。

人は何の為に生まれて来るのか

やりたい事をやる為?

楽しむ為?

幸せになる為?

それもまた一興

しかし本当は全ての人に共通した根本にある大切な目的がある。それは「自身の成長」そして「本当の愛を学ぶ為」

だから、この事を人生の最大の目的に出来る人は最も悔いの無い生き方が出来る人です。

言わばこの世でしか味わう事が出来ない負荷を経験し自身を成長させたくてみんなこの世に生まれて来る。

では負荷とは何か。
人種の違いも国の違いも仕事も人間関係も夫婦も男女関係も親子関係も病気もありとあらゆるものがそのお題です。だから人生に苦難があるのは当たり前。その経験の中から自身を磨きたくて生まれて来る。

人はこの世で自分と違う人格、人間性と対峙する事によって学び成長して行く。

男と女は脳の発達場所に違いがあり、それによって考え方の違いや感性の違いが生まれる。そこに育ちの違いが加わり男女には様々な葛藤が生まれる。因みに異性っぽい性格の人は脳の作りも異性っぽい

最初は恋愛と言う方便で仲が良くてもお互いを知って行くうちに葛藤や衝突する事が多くなる。そこでいつまでも恋愛と言う子供じみた愛や自分にとって都合の良い愛から成長出来ない夫婦だとその関係は簡単に崩れてしまう。

様々な苦労の中で一歩また一歩、お互い相手に対する思いやりや理解を育んで行かなければその夫婦の未来はない。

夫婦関係のどん底の中、どちらかに本当の愛が光りだす事がある。相手の未熟な部分も未熟な部分として認める愛。相手の成長を祈り暖かく見守る愛。するとその愛に感応して相手の中にも本当の愛が目覚め始める。

よく、人を変えようと思う前に自分が変わりなさいと言うでしょ?それはこうゆう事。

夫婦と言うのは必ずお互いにとって相応しい相手と結ばれるようになっている。 相応しいとは、相性がいいとか気が合うとかと言う意味では無く、お互いにとって成長の糧となる最良の相手と言う意味です。

ちゃんとその人に応じた苦労はするけれど努力次第で何とか乗り越えられる限界すれすれの相手。強すぎず弱すぎず丁度良い負荷の相手が縁になる。

逆にどんなに望んでも互いの成長の糧とならない相手とは縁が続かず結ばれないものです。

だから、様々な「相性が悪い夫婦」ほど共に苦労を乗り越えて行く器とより大きな愛を育む可能性を秘めた夫婦。それだけ大きく成長できる可能性を秘めた夫婦だと言えます。

本当の人生の目的を知れば、そう言う夫婦が理想の夫婦だと言う所以が分かって頂けると思います。

しかし、そう言う夫婦はよくよく人生のどん底を経験する事が多いものです。相手を理解出来ない、どうしても譲れない。衝突し憎み合い、まさに何度も夫婦の危機を経験しそれに追い打ちをかける不運な出来事など。

但し、誰もが通る当たり前の苦労を幼稚さ故に苦難と勘違いしている人はコレに当たらず。

そんな営みの中でお互い一歩一歩、相手への思いやりや理解を育み愛を学び、助け合い本当の幸せを一つ一つ見つけていく。そして本当の意味での夫婦へと成長して行きます。その学びは連れ添っている限り一生続く。

結婚を幸せの終着駅のように思っている人もいるが結婚とは「試練」です。結婚に幸せがあるとすればその試練を乗り越えた先そこにしか本当の幸せはありません。

数多くの苦難を乗り越えて来た夫婦ほど大きな成長と強い絆が育まれる。いつか別れの日が来た時には何にも勝るかけがえのない感動を手に出来る夫婦になるに違いありません。

ただ大切な事は夫婦でいる事ではなく、独身だろうがバツイチだろうが再婚だろうが、そこにたくさんの学びと成長があるか否か、それが一番重要な事です。

学びと成長の無い人はどんな境遇に変化してもダメなものはダメ。学びと成長のある人はどんなカタチであれ、しっかり地に足をついた生き方が出来ているものです。

プロフィール

全記事表示リンク

最新コメント

カテゴリ

メールフォーム

最新トラックバック

全記事表示リンク

リンク

ブロとも申請フォーム

QRコード

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。