最新人生哲学の記事一覧

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10/24

僕の今の仕事は自営業ですが昔はサラリーマンとして働いていた時期もありました。
サラリーマンと言ってもテーマパークという業態の為。その仕事は特殊で本当に色々
な職種の仕事をしました。施設の開園準備、前売り券の営業、遊具の運行
レストラン、物販店舗、渉外、コテージの管理、ホテル業務などなど。

20才の時の初任給が確か8万そこそこ、8年働いて課長に昇格しても手取り
15~6万程度。残業は当たり前で残業代無し。週一の休日もとれない時もありました。
一年間一度も休まない年もあったし晩年は朝早くから夜遅くまで16時間くらい働いて
いました。そして自宅で倒れ病気になりました。それがきっかけで会社を退職し
2年間の準備期間を経て今の仕事についたわけです。

安給料で休みもろくに取らずに働いて病気にまでなって何とも無駄な20代だと思う人も
いるかもしれません。確かに健康や青春、私生活など失ったものも大きかったのですが
今思えばその時の経験は僕にとっての財産であり宝なのです。

遊具の運行をしていた時は遊びに来た同級生に「大学まで出てする仕事じゃないだろ」
とバカにされたりもしたが、それでもどんな仕事でも誇りを持って真剣に取り組んで
来ました。同期はみんなそうでした。気持ちや情熱はディズニーランドにも負けない
そう思って頑張ってきました。

でもその頃、頑張ってきた事は自分の今の仕事に活かされており、その時の経験が
なければ今の仕事はきっとうまくいかなかった事でしょう。一見、まったく関係のない
仕事も、いやむしろそういう仕事をやってきたお蔭で今の仕事でアイディアや経験が
活きてくる。その道一筋もありだと思いますが、様々な経験が自らの引き出しの多さ
対応力、想像力、自信になり今の自分の大きな力となっているのです。

僕の弟は食品卸会社の所長をしているのですが新入社員の採用で苦労しているらしい。
就職難と言われる昨今ですが実際は少し違うよう。弟曰く、選ばなきゃ仕事なんて
いくらでもあると。今の若者は「給料は?」「休みは?」「業務内容は?」と
いう割に実際何にも出来なきない上にちょっといやな事や自分に合わないと思うと
簡単に辞めてしまうのだそう。

確かに仕事の条件というのはある程度大事だけど本当の財産ってお金じゃなくて豊富な
経験こそが一生失う事のないかけがえのない宝であり、生きていく上での力になって
くれる大切なものだと僕は思います。仕事での実践と経験こそがその人を磨くのです。

僕がスピリチュアリストとしての活動で仕事の事で相談にのっている時によく言う事が
あります。この世に存在するものには必ず意味があり、存在している意義があります。
仕事もそう

仕事をスピリチュアルな視点で捉えるとその意味は3つの柱があります。

まず一つ目
「仕事はこの世で生きる為の生活や体を養う為の手段であるという事」
当たり前ですが生きる為には食べ物や衣服や生活用品を買うためお金を稼がなくては
いけません。子供の学費やその他色々。時には趣味にお金を使ったり、たまには家族で
旅行に行ったり、美味しいものを食べに行ったり。人生をより楽しく豊かにする為には
少し無理をしても頑張って稼がなくてはなりません。自分にとってもっとたくさんの
お金が必要なら頑張ってもっとお金を稼ぐのもいいでしょう。お金を稼ぐ事が人生の
目的になってはいけませんがお金を稼ぐ為の努力と経験がその人の成長や
学び財産になるはずです。

二つ目
「仕事は自らを成長させる為の手段であるという事」
本を読んだり、講習会に出たりして学ぶ事は良い事。でもその人を成長させる事が出来る
のは人生での実践経験のみです。気が合う人、優しい人だけでなく仕事はいやでも
自分以外の色々な人間とかかわっていかなければなりません。性格的に合わない人や
好きになれない人ともうまくやっていかなければならないしトラブルや色々な葛藤を
抱える事もあるでしょう。でもそれこそが最大の学びでありその人の人間力、真価が
問われるのです。その中でもまれ努力し生きていって初めて人は人間性を磨く事が
できるのです。だから仕事で悩みが多い人はこの事を覚えておいてほしい。すべては
自分を磨く為の大事な経験なのだと言うこと。

三つ目
「仕事は自らを世の中や人の為に役立てる為の手段であるという事」
慈善活動やボランティアだけが人の為になる事ではありません。どんな仕事も誰かの
為になる仕事であればそれは立派な自らを世の中や人の為に役立てる為の手段である
という事。だからどんな仕事でもたとえ目立たない仕事でも派手な仕事でなくても
自慢できなくたって誇りをもって頑張ってほしい。あなたが人の為に一生懸命に
なった時それは「生けとし生けるものすべては共に生かし生かされている」という
自然の摂理に調和した尊い生き方をしている事になります。そしてその認識こそが
仕事をうまくいかせ、かつより豊かで生きがいある人生を送る最良の方法だと
僕は思います。

スピリチュアルな視点で言うとあくまで仕事とはこの3つの柱であるということが
言えるでしょう。だから仕事を人生の目的にしてはいけないと僕は思う。人間は仕事を
する為に生まれてくる訳ではありません。人間は自らの人間性を向上させる為にこの世に
生まれてきます。仕事はあくまでその為の手段の一つだと言う事です。

僕はこの3つの柱を見失わないかぎり、必ずいい仕事が出来るはずだと思っています。
さてあなたにとっての仕事って何ですか?

07/14

最近僕がよく相談者や縁になった人に聞かれる事があります。

「私も人の為になりたい」「どうすれば、なれるでしょうか?」

これらの人達にはある共通点があります。それは過去あるいは現在までに
それぞれの人生で深い苦しみや悲しみを味わって来た人達であるという事。
そしてそれを乗り越えて来た人達であるという事。

そういう人は今度はその経験を人の為に役立てたいと思う人が多いのです。
逆に言えば真に人の為になれるようになるには様々な苦難や苦しみ
悲しみを経験者しなければなれないのです。

何故か。それは、でなければ真に人の気持ちにはなれないからです。
病気で苦しむ人の気持ちは実際に自らが苦しんだ経験あればこそ。
大切な人を無くした人の気持ちも自らにもそういう経験があればこそ。
イジメられる人の気持ちは自分も経験して初めてなれるものです。

実は人に優しく出来る人、人の気持ちになれる人とそうでない人の違いは
実はそういう経験をしてきたか否かの違いなのです。

でも生まれながらに差があるのは何故と思う人もあるかもしれません。
それは今の人生だけでなく過去のいくつもの人生(前世)での経験が
影響しているのです。子供ながらに優しい子はそれだけ過去世で様々な
経験をしてきて魂が磨かれているのです。

まず僕は「自らを人の為に役立てたい」と思う人達に賞賛を送りたい。
その思いは愛の実践の第一歩であると同時に自らの人間性を磨く為に
最良の方法だからです。そして、その行いは人を幸せにするだけでなく
自らの幸せの種を蒔いている事でもあり、人の幸せに努力する人は今度は
その幸せが巡り巡って自らの元に帰ってきます。それだけでなくそれは
あなたの愛する家族にも恩恵があります。

ただし、その道はけして簡単なものではありません。その志が本物である
ならばどんな苦難にも立ち向かう器量と心構えももたなくてはいけません。
それはそれが人の為になれるようになる為に必須の条件だからです。

自分の人生に翻弄されている人が真に誰かを幸せに導けるでしょうか。
自らの人生にへこたれている人が誰かを勇気づけられるでしょうか。

人の為に自分を役立てる人生は自分という人間を高める人生でもある
のです。こんな事を言うと怖気ずいてしまう人もいるかもしれませんが
大丈夫。あなたの力量を越える苦難は絶対に起きないようになっています。
あなたが苦労しながらも何とか乗り越えられる苦難しかおきないという事。

苦難に負けそうな時はそれを乗り越えられる自分になったんだと自信と
勇気を持って頑張って下さい。これまで乗り越えてこられたように
最善さえ尽くせばこれからも必ず乗り越えられます。これも
自然の摂理(法則)の一つです。

僕からのアドバイスとしては、最初から大きな事は考えず、みじかな場所で
みじかな縁で小さな親切から始めましょう。道端で困っている人に無関心で
いるようでは本当に困っている人の力になる事は不可能です。

あなたの人の為になりたいという思いは愛に溢れる「目に見えない存在」
を引き寄せ必ずそのチャンスに導いてくれるでしょう。
そして自分なりのベストを尽くしていればどんどん道が開けて行きます。

あと大事なのは豊富な人生経験を積むです。近頃は本だけはもう感心する
くらい沢山の読む人が多いです。それも悪くはないのですが、もっと大切な
事は知識を自らの人生経験の中で体現するということ。知識だけ詰め込んで
「出来る自分」になったような錯覚をしている人も少なくありません。

そういう人は一見、立派な事を言っているようでよくよく聞いていると
的外れな事を言っている事が多いものです。

どんな立派な教訓も哲学も自分で経験したものでなくては言葉に重みや
深みは出ず、真に人には伝わりません。自らの経験に裏打ちされた知識で
なくては人に説く資格は無いという事です。

近頃はワークショップやら講習会などがあふれていますが、肩書きと俄かな
知識だけで安易に始める人もいます。この先きっとそういうものの価値が
段々と失われていくような気がしてなりません。大切なのはその人の経験と
真の実力なのです。

人に何かを説く時には「聴く側の経験」と言うのもが大事になってきます。
どんなに素晴らしい教訓も相手にそれを受け入れる為に必要な経験
(苦難、悲しみ、苦しみなど)がないと馬の耳に念仏になる場合があります。

僕が普段、クライアントにやみくもに哲学や教訓を押し付ける事はしません。
仮にその人がその話に共感したとしてもそれはまず、その人のものには
ならないでしょう。それは経験というものが欠落しているからです。

その人の話を聞き、その人の経験の中で教訓とできる法則のアドバイスを
します。また、伝えたい事があってもその人が普段の私生活での経験で
その法則を必要とする時まで見守り、その時が満ちた時、初めて
アドバイスします。

苦しみ、葛藤、悲しみ、悩み、そういった自らの経験の中から悟った教訓
は絶対に忘れる事が無く深く魂に刻み込まれるものなのです。

人の為に奮闘しても時にはうまくいかない事もあるでしょう。逆の結果に
なる事もありかもしれません。そういう時は落ち着いて自分の中にある
真の心を内観してみましょう。

本当にその人の事を思って言った言葉なのか?
いいフリをしたいだけではないか?
いい人だと思われたいだけではないか?
ただの自己満足や押し付けではないか?

人の為に自分を役立てたいと志すものは神経質なまでに自分の真の心を
内観しなくてはいけません。

あなたの善意が本物ならばその行いはけして無駄に終わる事はありません。

06/20

愛2
世の中では「愛」という言葉が日常よく使われます。それだけに
愛という事の本当の意味が曖昧になり、何でもかんでも愛だ愛だと
ただその言葉の美しさに酔っているいるだけだったり、自らの
生き方や行動を美化する為に使われていたりします。

愛はあらゆるすべての事をうまくいかせる唯一のもの
家族関係であったり、友達や、恋人、仕事もボランティアも
世界平和もすべてそれが愛を基盤としたものであれば
必ずうまくいきます。

「でも、うまくいきません」なぜか、それはそれが「本当の愛」
でないから真の愛を定義できていないからなんです。

では本当の愛とは何なのでしょう。

愛はただ与えるのみ、自らは一切の見返り、礼も称賛も名声も報酬も求めず
ただひたすらに相手を思いやる事。愛だと思ってもうまくいかないのは
そこに何らかの見返りを期待していたり自己愛があるからです。

愛は与えるのみだから欲しがる愛は愛とは言えません。欲しがる愛は自己愛。
ただ、自分の都合の良い言葉や行動、言ってほしい言葉や行動を
求めているにすぎません。愛は時に相手を思えばこそ厳しい言葉にもなるし
相手を突き放したり、ただ見守る事もあります。求める人は
そんな事はまず望んでいません。

困っている人や悩みをかかえた人の相談にのってあげたり
力になってあげる事は尊い事。しかし、ただ慰めの言葉や相手が望むような
言葉をかけるだけではいけません。本当の愛は相手の人間的な成長を祈る愛
でなくてはいけない。優しい言葉だけしかかけられないのは
相手に好かれたい、頼られたい、嫌われたくない、いい人だと思われたい
などという見返りの思いがあるから。それはただ相手の依存心を
引き出したり相手の成長の足枷になる場合があります。

どんな悩みも問題も誰かがその人の人生を肩代わりする訳にはいきません。
その人の人生はその人自身が成長し乗り越えていかなければなりません。
どうしたらその人が成長出来るか、自分の力で克服できるか。
それを考えられれば自ずと言葉や行動に真の愛がこもるはずです。

恋愛
恋愛は実は愛と呼べない場合が多い。最初、男女愛は視床下部にある
性欲中枢が司る動物的な本能にすぎません。時には物を好きになるのと
同じような物質的価値観的な愛である事もあります。恋愛や結婚での
本当の幸せは長い時間をかけてお互い本当の愛を育んでいった先に
しかありません。

よく恋愛がうまくいかなくなると逆に相手を非難したり恨んだり
という人をみかけますがこれは愛が憎しみに変わったのではなく
最初から愛ではなかったという証拠。
物を好きになるのと同じように好きだっただけ。もしそれが
本当の愛ならば最後の最後まで相手を思いやるはずではないでしょうか。

好きになる事と愛する事は違います。好きになるのは子供でも出来ますが
真に愛する事は大人の魂を持つひとでなければできません。
愛すると言う事は相手を真に思いやると言う事。相手の良い部分も悪い
部分も含めすべてを受け入れ愛するという事。
すべてを受け入れるといっても何でも容認したり依存させる事ではなく
そういう部分も含め成長を祈る思いやりの心こそが愛。
人は誰しも未熟な部分があって当たり前なのです。

また言葉で着飾る愛は愛とは言えません。それは愛と言う言葉に
酔いしれているだけ。愛には行動が伴っていなければなりません。
また愛には次のような特徴があります。

自己愛の強い人は日々色々な葛藤を抱える事が多くなります。
逆に本当の愛を実践出来れば出来るほど人生での葛藤は少なくなっていきます。
それは自分の事の前に相手を思いやれるようになれるから。
そして人に注いだ愛が自分に帰ってくるようになるから。愛を求めるだけでは
注がれる愛はいつか枯れてしまうでしょう。見返りを求めてはいけませんが
愛は与えてこそ帰ってくるもの。だから人から頂いた愛は必ず感謝の心と共に
愛でお返ししましょう。

人生は色々な側面で自らの真の心を炙り出してくれます。つまずき
そして気づきと反省を繰り返しながら本当の愛を少しでも理解し実践できる
ようになる事はすべての人に共通する人生での課題です。
それは僕にとっても同じです。一生、学びであり修行です。

さて、あなたの愛は本当の愛ですか?

WOLD PEACE

カテゴリ:人生哲学

04/25

WOLD PEACE
世界平和

戦争、テロ、国と国とのイザコザ。今なお、世界では平和とは
程遠い出来事が数多くおきています。

人は平和を求めているのにどうして、それらは無くならないのでしょう。
それは自分の国さえよければ、自分の町さえよければ
自分の家族さえよければ、自分さえよければという利己主義が原因。

国と国の喧嘩も人と人のイザコザも同じ。
個人の批判や罵りは国と国の批判合戦と同じ。
身近な人に愛を注げない人が異国の人間に愛を注げるだろうか。

人は帰属的つながりが強いほど愛いする事は容易く、遠いほど難しい。
だから帰属的な繋がりの遠い存在への愛が一番崇高な愛でありそれを
出来るようにならなければ世界平和など程遠い。

また、好きな人だけに愛を注ぎ嫌いな人には注がない。
これを国に置き換えた場合世界平和がなしえるでしょうか。

世界はたくさんの国や人種の集まりであり
国はたくさんの地方や街の集まり
そしてそれはたくさんの個人の集まりであるから
その一人一人が愛を注げる人間にならなければ平和は成しえません。

しかし世界平和に近道はありません。では、どうすれば良いか。
それはあなた自身がまずその光になること。まず、身近な人へ
愛を注げる人間であること。それが世界平和の第一歩。
それが出来なくては世界平和を語る資格はありません。

そして帰属的な愛から一歩、また一歩と遠い存在へ愛を
注げるようにならなければなりません。

世界に国が存在する事も沢山の人種が存在する事にも意味があります。
その負荷の中で帰属的な愛からもっと広く深い愛への学びの為に
存在しているのです。

物理的に国境が無くなれば良いと言う人がいますが、僕は違うと思います。
国境(帰属的な繋がり)は人間の中にある本当の本性を炙り出してくれるもの。
大切なのは国境があれど人間一人一人の精神的な国境を無くす事こそ
大切な事ではないでしょうか。

10/23


人だけでなく、生けとし生けるものすべてが共に支え合い
生かされています。誰一人、単体では生きられない。それが自然の摂理です。

だから支え合う事は自然の摂理に調和した生き方。
あなたが人生に最善を尽くした上でそれでも、どうしようも無い時は
人に遠慮なく甘えましょう。人のお世話になりたくない
迷惑をかけたくないからと一人で抱え込むのは間違いです。

何故か。それは自然の摂理に逆行した生き方だからです。
けして良い結果は得られません。

大丈夫、心配せずともあなたの力になってくれる人が必ずいます。
少なくとも僕はそういう人と縁になった時、相手が誰であれ、どんな人であれ
最善を尽くし力になります。そして自分を頼りにしてくれる限り
けして見捨てはしません。

それはあなたにも出来ます。本当に困っている人に親身になってあげる
だけでもその人がどれだけ救われる事か、どれだけ勇気づけられることか。

愛される事を望むよりも真に人を愛する事の出来る自分になりましょう。
その愛の種は巡り巡って必ず自分の所に帰ってきます。それが幸せな
人生を送る為の秘訣です。

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