最新スピリチュアリズムの記事一覧

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02/09

誰もが一度は人を恨んだり、憎んだりしたことあるのではないかと思います。
私だってあります。子供の頃だったら、いじめられた時や悪口を言われた時など
青年時代だったら、陰口を言われたり、ひいきされた時など。大人になってからは
理不尽な思いをした時や騙された時など。

でも、そういう経験の中から皆、痛みを知り、優しさや思いやりを学んで行きます。
そうやって一人前の大人へと成長していきます。

私自身は今は人を恨む事は殆どありません。それは人を憎んだり恨んだりする事の
恐ろしさを学び、そして経験の中からそれを目の当たりに見てきたからです。

人を恨む、憎むという行為はの反対の行為と考えて間違いないと思います。
愛は自然の摂理、法則に調和した生き方であり、恨みや憎みは自然の摂理、法則に
逆行した生き方であると言えます。

愛に生きれば、幸せと健康と平和を生み、恨みや憎みは不幸と病気と争いを生みます。
実に単純明快な大自然の法則ですが、それがなかなか出来ないのが人の常。

では、恨みや憎むという行為が私たちにどういうものをもたらすのか
具体的に説明します。

まず恨みや憎む心を抱くと、ストレスを生み体の調和を乱します。それによって
様々な病気の原因となります。またケガもしやすくなりますし、心の余裕が
なくなり、事故なども起こしやすくなります。

次に恨みや憎みが負のカルマを生み、いつか自らも恨まれ憎まれる事になるでしょう。

そしてその思念は心の波長を下げ、それに相応しい縁を引き寄せます。同じように人に
恨みを持つような人と縁になり、トラブルや良くない事を招きやすくなります。
その縁は人だけでなく土地や行く場所にも影響します。たとえば引っ越しをしたら
悪いエネルギーの場所に住む事になってしまうなど。

また、その低く、じめじめした心の波長は生きた人間だけでなく、同じような恨みや
憎みを持ちこの世を去った未浄化霊に憑依される事にもなります。

それによって、運の悪い事ばかりおこるようになったり、体調を崩すようになったり
時にはその憑依霊によってその恨みの念が増幅され、間違いを犯してしまう危険性
もはらんでいます。

どうですか、あなたはこれでも人を恨んだり、憎みたいと思いますか?私には
そんな恐ろしい事にはなりたくないし、自分にとってマイナスでしかありませんから
絶対に恨みたくありません。

でも、何か理不尽な思いをさせられた時などは誰でも人を憎む気持ちが湧いてくる
ものです。そういう時こそ、その人の人間性が重要になってきます。

相手を理解したり、許したり、それを自分の事として謙虚に受け止められる感性。
何故なら、そういう恨みを持つような相手と縁になる事もまた自分の心の波長が
招いているとも言えるからです。そういう感性を持てるかはどうかはその人が
どれだけ本当の愛を理解できているか、どれだけ自然の法則を理解しているかに
かかっています。それが出来れば恨みは消え、あなたは一歩も二歩も自分を
成長させる事が可能になるでしょう。

01/26

愛と言う言葉がありますが、愛にも色々あります。恋愛や友達愛、家族愛
など。みんな愛と言う言葉を気軽に使う為、その意味も軽くとられがちですが
実は本当の愛を実践する事はなかなか簡単な事ではありません。

本当の愛とは利己的なものや自己愛を全く含まずにただひたすらに人を思いやる
心、人の為になりたいと思う心を言います。見返りを期待する愛も愛とは
言えません。愛は与えるだけ。また愛は押し売りしない。自慢もしないもの。

人間はどんなカタチの愛にしろ、ついそこに利己的な愛が混じってしまうものです。
恋愛だと自分の都合の良い愛であったり、自分の寂しさをうめる為の愛であったり   
自分の欲求を満たす為の愛だったりただ単に動物的な本能である場合もあります。
それを愛だ、愛だと言っても実はそれは真の愛とは言えないものなのです。

家族や子供に対する愛も同じで一心に思う愛の中にも、そこに利己的な本来ならば
愛と呼べない「偽物の愛が」まじってしまう事があります。親の理想を満たすだけの
愛であったり、子供を私物化する愛であったりと。

他人に対しても自分では愛だと思っていても、そこには良く思われたいという思い
があったり、地位や名声の為だったりと自分でも気付いていない場合もあります。

自分の愛が本当の愛かどうかを見極めるコツは、それが真の愛ならば必ず
相手から愛として帰ってきます。物事がうまくいかないという時は愛だと思っても
自分の中に利己的な愛が混じっていると考えて間違いありません。

また言葉で愛を語るのは簡単ですが、愛には行動がともなっていなければ愛とは
呼べません。愛は実践してこそ初めて愛と呼べる性質のものだからです。

でも愛を実践する為には真の愛とはどういうものなのかを定義できていなければ
なりません。では、どういうものが愛と呼べるのか。それは、本当の意味で
相手の為になっているか、そしてそれが相手の霊性(人間性)の向上を一心に
思うものであるか。それが大事。優しくする事、何でもしてあげる事、依存させる
だけのものは、本当の優しさや愛ではないという事です。相手を思えばこそ時には
厳しい言葉もかけなければならない事もあるという事です。

とはいえ、本当の愛を理解し実践する事は容易な事ではありません。なかなか出来る
事ではないです。その道も地道で根気のいるものです。なぜなら、その愛を学び
実践できる感性を身につけていく事こそが人生の最大の目的であり、この世に
生をうける意味であるからです。

本当の愛を知る近道は無く、それには長く豊富な人生経験が必要。特に苦しい思い
悲しい思い、辛い思いは必須です。病気の人の苦しみがわかり、愛を注げるように
なるには自分も同じような経験が必要。いじめられている人の本当の気持ちになる
ためにも同じような体験が必要。このように人間は様々な喜怒哀楽を経験しながら
でしか霊性(人間性)を磨き、思いやりや愛を学ぶ事が出来ないのです。

実はそれこそがこの世に様々な苦難がある意味なのです。そしてすべての人が
少しでも本当の愛を学ぶ為にそのような場所に生まれてくるのです。言わば
「愛」はすべての人間にとっての人生での共通したテーマだと言えるでしょう。

ですから、あなたは生まれて来た時代、国、町、親、兄弟、性別これすべて
あなたが選んで生まれて来たのです。自分が愛を学ぶに最もふさわしい場所へと
自分の意思でこの世に降り立ったのです。

12/12

そろそろ、このブログでもスピリチュアリズムの専門的な事も紹介していこうと
思っています。私はよく「生まれ変わりって本当にあるの?」という質問をうける
事があります。しかしまずその前に類魂(グループ・ソウル)という概念を
知らねばなりません。

類魂とは霊的な親和力による絆でつながった霊的家族とも言える言わば魂の故郷の
ようなものです。わかりやすく説明する為によく類魂をダイヤモンドに例える事が
あります。ダイヤモンドにはカットによるたくさんの側面がありますね。その沢山
の側面の中の一つがこの世に生を受けます。それがあなたです。

そしてあなたがこの世を去ったのちに最終的に溶け込む存在が類魂です。この世に
存在している時にあなたは個として自我を表現していますが、死んであの世に戻り
類魂に溶け込んだ後は個ではなく魂のまとまりの一部となります。

みなさんも一度は自分の前世は何だとか、どんなだったとか興味を持った事があると
思いますが実は前世とは類魂の「あなたという側面」とは違う側面がこの世で生を
受けた魂であるのです。

ですから、前世とは同じ類魂であるという意味では自分自身であると言えますが
あなたはそっくりそのまま前世の生まれ変わりでは無いという事です。

それは来世も同じことで、あなたという個性の人生は今の人生で終わりです。
次に来世で生まれてくるのは類魂の別の側面だと言う事です。ですから今の人生を
悔いのないようにしっかりと生きなければいけません。

あなたがこの世で経験した事はあの世で類魂に溶け込んだ後は類魂全体の経験と
なる訳です。その時にあなたも過去の類魂の様々な経験も思い出す事になります。

それが前世と現世そして来世の真実です。そうやって魂は少しずつ少しずつ様々な
経験を積みながら向上進化を続ける存在だと言えるでしょう。その為に人は
生まれてくるのです。

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