07/20

人はよく誰かを「あの人は良い人」「あの人は悪い人」と区別します。
しかし、それは間違いで正しく言うと善意の多い人、悪意の多い人と
するのが適切だと思います。

実は善意だけの100%の人もいませんし、悪意が100%の人もいないのです。
しかし、どちらもそれに近い人はいます。言わば善意と悪意の割合の違いで
どんなに凶悪な人間も善意がゼロになる事は無いという事です。

では悪意とは何なのかというと人間的な理性の未熟さ、弱さを言うのです。
身体的な事を例に例えていうと体は大人でも理性は子供だという事。
悪意の多い人ほど倫理的な事は理解出来ないものですが、これは盲目になって
いるという事ではなく、そういう事の理解力が無いという事が言えます。
言わば、子供に倫理的な話をしても言う事を聞かない。それに対して
「盲目になっている!」と言っているようなもの。

では善意の多い人と悪意の多い人の違いとは何なのでしょう。
それは人間としての経験値の違いなのです。何の経験かと言うと
善意の多い人は、それだけたくさんの苦難や辛い経験が豊富だと言う事。
本当に人の痛みや気持ちになるためには、その人と同じような経験が必須
なのです。病気の人の苦しみがわかるのは自らも病気で苦しんだ経験が
あればこそ。いじめられる人の気持ちは自分がその立場になった事が
あればこそ。

悪意の多い人は、様々な苦難の経験が無いため、人の気持ちになる事が
できないのです。

言わば、苦難という経験が人の善意を育む上で大切な触媒の役目を
はたしており、どんなに素晴らしい教訓も人生哲学もそこに
経験が伴わなければ本当の意味で理解することは不可能なのです。
もし、あなたが誰かの為に何かを説く時、その人がどのくらいの
経験値があるのか(どのくらい受容力があるのか)を見極める目を
持たなければ、馬の耳に念仏であるという事です。

また、人の為になれるような自分になりたいと思う人は普通の人の
何倍もの苦難や苦痛を経験しなければなりません。その覚悟と
どんな試練をも乗り越える自信が無くてはいけません。

人生の中の様々な苦難や問題に真正面に取り組み乗り越えて行くところに
理性の進化と善意の増加がなされていくものなのです。

その為に人生には様々な苦難があるのです。また苦難は未熟な人間の悪意
が原因となっておこる事が多いですが、誰かの悪意は誰かの善意を育む上で
大切な役割をになっているのです。もちろん、悪意は無くすべきものです。
しかしその無くすべき悪意をも存在している意味があるという事です。

法則というものはそういうもので、無くすべきものであっても無駄に存在
している訳ではないと言う事です。それが
「生けとし、生けるものすべてはともに生かし生かされている」と言われる
所以であるのです。
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6 Comments

  • Name:mizugame
  • leafさん、こんばんは!!
    ご無沙汰していました。
    毎日暑いです。北海道・帯広はどうですか?超大型台風6号がそれてくれてホッとしています。
    良い人、悪い人・・私も学生の頃はその人の表面だけを見て悪い人は嫌だな~と思っていました。しかし、誰かの善意をはぐくむうえで必要だったんですよね。なるほど!!と思わず納得してしまいました。

    私もあれからまだ離人と闘っています。
    周りはいい人ばかりなのに、なかなか親しみがわくことができずに落ち込んでしまいます。いいことも悪いことも実感したいです。気力で治そうと思ってもところがどっこい・・どんなにもがいても戻ってきません。もう治すことあきらめたいですが。神様はいつまで試練を与えて下さるんでしょうね。もういいと思います。
    実感を持って自分の子供たちを温かく見守れるお母さんになりたいです。
  • 2011/07/21 22:02 | URL 
  • Name:leaf
  • mizygameさん、こんばんはー。
    北海道は寒暖の差が激しく体調を整えるのが難しいです(笑)
    毎日、頑張っているようですね^^でも

    治そうという思いが強いとかえって治らない事を悲観して
    しまいますので、ある意味、あきらめるというか気にしない事の方が
    回復にプラスに働くと思いますよ。

    離人症は神様が与えているのではなくて、自身の生き方、考え方、思い方、捉えかた
    が原因となって自分が自分に与えているものですから、普段の私生活の中から
    自分の欠点を一つ一つ克服する事が一番大切な事だと思います。それは

    離人症に頼らずとも、どんな現実感をも恐れない自分になる事です。


  • 2011/07/21 22:47 | URL 
  • Name:ペガサス
  • 殺伐とした世界の中で、毎回ココに来るとホッとします(笑)

    皆が管理人さんの法則を身につければ、戦争なんて無くなるんじゃ無いのか?

    とさえ思えます。

    暖かい記事をありがとう御座います。

    お身体には気をつけて頑張って下さい。
  • 2011/07/22 00:39 | URL 
  • Name:leaf
  • >ペガサスさんへ
    法則は私の考えたものではなく、当たり前に存在しているものです。
    私は単なるマウスピースにしかすぎません。

    >法則を身につければ、戦争なんて無くなるんじゃ無いのか?
    法則はすべて生命の理性の進化の為にありますからそれに
    調和した生き方が出来る人が増えればおのずと争い事は無くなるでしょう。
    ただ、人類が誕生して何十万年もたっていても未だ戦争などの争いは無くなって
    いないのですから、理性の進化というものがいかに地道で永遠に続く
    らせん階段を上っているようなものだという事がわかると思います。
  • 2011/07/22 15:05 | URL 
  • Name:ペガサス
  • あるサイトを発見しました。主殿の仰るブログかどうかは解りませんが、ある認知的障害者の被害者と称する人々がその障害の方に対して怒りと嘆きをぶつける、と云う物でした。所がコメントの内容が酷く幼稚なのです。上手く言えませんが初めて世間の荒波を経験した人が、不幸の原因を全て「障害者」に求めてるような感じなんです。
    差別意識すら感じました。

    この人達に足りないのは人生経験と人は誰でも生まれつき罪を犯すと云う「原罪」の感覚だと思います。

  • 2011/10/02 15:59 | URL 
  • Name:Leaf
  • >この人達に足りないのは人生経験と人は誰でも生まれつき罪を犯す
    と云う「原罪」の感覚だと思います。

    まず、時代遅れの専門用語はどうでも良い事です。
    人は誰でも罪を犯すという事は子供でもわかっている事です。人に恨みを
    抱く人達とて精神論としてはわかっています。

    でも誰でも理不尽な悪意に苦しめられたり、大切な家族を殺されたり
    と言った時に「人は誰でも罪を犯すから」しょうがないと納得できるものでしょうか。
    あなたはどうですか?

    かりに、悪意に苦しめられる人がそれで相手を許したとしてもその問題は
    一切解決しません。悪意を向けた側はより一層悪意をエスカレートさせる
    可能性もあります。また、被害者が自らを反省したとしても、同じように
    悪意の餌食になる可能性が高いです。事はそんな単純なものではありません。

    被害者自らが苦しみや悩みの中で教訓を見出し、人間力を養うしかありません。













  • 2011/10/02 22:21 | URL 

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