最新スピリチュアリズムの記事一覧

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09/07

人は誰しも何かしらのリスクを抱えて生きています。何かが苦手だとか、身体に弱い部分があるとか性格的にマイナス思考だとか。色々なリスクがあると思います。

人によっては大きなリスクを抱える人もいます。生まれつき身体的なハンデや精神的なハンデ、過酷な境遇など。そういったリスクが人生のいつかの時期におこる事もあるでしょう。

中にはこれといったハンデもなく誰もが抱えるような悩み事に自意識過剰になって自らハンデを作り出している人もいます。

自分はどうしてこんな自分に生まれて来たんだろう。どうして自分だけ運が悪いんだろうと思っている人もいるかもしれません。リスクの大きさは人それぞれですが同じ人間に生まれてなぜ違いがあるのでしょう。

それはまず、その人がこの世に生まれて何を学ぼうとして生まれて来るかによります。人はみな何かを学び自分を成長したくて生まれて来ます。その為に最適で都合の良い時代、国、町、親、家族、身体、境遇、寿命を自ら選び選択して生まれて来ます。

そしてそのリスクやハンデの大きさはその人の志の大きさと魂の強さによります。大きなリスクを選んで生まれて来る人ほど強い志しとそれを乗り越える可能性を秘めた強さを持っているという事が言えます。

人は生まれる時、その記憶はあの世に置いてきます。そしてこの世で忘れていればこそ学べる、色々な葛藤や経験をしながら一歩、一歩、成長の階段を上って行きます。

人生は死にたくなるような辛い事や耐えられない事、目の前が真っ暗になるような事がおきる事もあります。でもそれはあなた自身が苦しみながらも何とか這い上がって乗り越えられるギリギリのリスクなのです。

生まれる前はみんな自分がどのような人生を送るかを分かっています。辛い人生を経験する事がわかっていてなぜあえてそれを選んで生まれて来るのでしょう。

それはそれくらいの経験がないと学べない事があるからです。楽な人生から価値あるものを学ぶ事はできません。

人はリスクやハンデ、苦手な事がある一方、誰でも必ずキラリと光る長所を持っています。人それぞれそれが光り出す時期は違いますが、辛い経験がターニングポイントになって大事な役割を果たす時もあります。

もしあなたが今、耐えられない程の辛いリスクを抱えているとしたら、あなたはそれを乗り越える器を持つ人だという事です。怖がらなくても大丈夫。もっと自信をもって。

まずはあなた自信が選んだ宿命を受け入れる事。でもけしてあなたの器を超える苦難は絶対におきません。勿論辛いです。簡単じゃないです。しかし人生に最善を尽くすかぎり必ず乗り越えられます。リスクとは言わばあなたがこの世に生まれて来た目的の一つなのです。


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09/07

6/28 沖縄の友達、山野本さんがお店に来て下さいました。山野本さんとは知り合って6年になりますがナカトリモチと言ってスピリチュアリズムの哲学と霊能、神社神職の経験を活かしたカウンセリングや講演、お祓いなどを行っています。

僕が本業の合間にボランティアでやっているアマチュアだとすれば彼はそれを生業とするいわばその道のプロで日本全国のみならず世界を飛び回り忙しい日々をおくっています。

彼は正しいスピリチュアリズムを理解している数少ない方で、スピリチュアリズムと言うと人によっては胡散臭く感じたり、なんかの宗教のように思う人もいると思いますがそれも当然でスピリチュアルと言う言葉を使う人の9割は正しい事を理解できていない中途半端なスピリチュアルオタクだったりインチキな商売をする人達だったりする事が大半。

少なくとも僕の身の回りで「スピリチュアル」なんて言葉を使う人で正しい事を理解できていると思えるのは彼だけだ。スピリチュアリズムとはごく自然に当たり前に存在する単純素朴な自然の摂理の事を言います。

悲しいかなスピリチュアルと言う言葉だけが色んな人間によってくだらない事や胡散臭い事に使われているが今の時代。真のスピリチュアリストはけして、ありがちな現実離れした事をつぶやいたり、とらわれたり、執着しません。

それはそんな地に足が着いていない浮ついた生き方ではなく現実社会で人それぞれの人生を全うに前向きにそして真っ向生き抜いて行く事こそが最も大切な事だと言う事を知っているからです。

彼はいつも日々のブログの中で正しいスピリチュアリズムを発信してくれています。僕も大好きなブログです(^^)
http://nakatorimochi.ti-da.net/

12/30


ウチは昨日が仕事納め。今日から3日間のお休みを頂きます。今年は自分にとってみじかな親族や知り合い、知り合いのご家族が多く亡くなった年でした。

僕にとっても悲しく淋しい年だったけれど死はけして不幸では無く、故人にとって死は旅の終わりであり、卒業。そこで人生が終わる訳では無く生きる側面が変わるだけ。その人の歩みは場所を変えこれからも続いていく。

大切な事は故人が生前、お互いの歩みの中でたくさんの様々な経験や学び、感動を与えてくれた事への感謝。

そして故人が安心できるような生き方をする事。故人無き後、供養の仕方や整理、相続などで親族で揉め事やトラブルなんて事も少なくありませんが、故人はこの世を去ってもその人はその人。何も変わる訳でも特別な存在になる訳ではありません。

供養とは線香を手向ける事でも経を読む事でも供物をあげる事にあらず。真の供養とは新たな気持ちで前向きに、そしてぶれずに強く生きて行く事。幸せだと思える人生を歩んで行く事。又はその為に努力して行く事。

故人ならどうすれば安心してくれるだろう。どうすれば喜んでくれるだろう。そう考えれば供養とは何なのか、どうすれば良いか自ずとわかる。

11/10

前々から欲しい靴があった。自分に会うサイズがなかなか無かったがなんとか
ネットショップで見つけた。よくネットショップを利用するが、詐欺も少なくないので
いつも細心の注意を払って買物するようにしている。

所がよく調べてみると詐欺サイトだという事が分かった。世の中には平気で金銭を
騙しとろうとする者がいる。勿論そういうものに騙されないように普段から色々
学んだり細心の注意を払う事が大切だが、そう言う縁に会わないようにする
一番の方法がある。

それはあなた自身の人間性を磨くこと。縁と言うものは自然の法則(摂理)に支配
されている。類は友を呼ぶと言うことわざがあるが、昔の人は何だかよく分からないが
縁とはそう言うものだと言う事を肌で感じていたのかもしれません。
「最近、嫌な人と関わる事が多い」とか「自分の周りでロクでもない人ばかり縁になる」
などと言う人は何故そうなるのかと言えば、それはあなた自身が
ロクでもないからなのである。

あなたと縁になる人は必ず、あなたと同じものを心に内在した人であり
良い縁も悪い縁もあなたの心の反映であるのです。心にはその人の人間性に
応じた波長があり、その時の精神状態によっても変化する。例えば外出先で
運悪く機嫌の悪い人に出くわし、ちょっとした事で怒鳴られたとする。そんな時
相手を恨む前に今の自分、少し前の自分を振り返ってみてほしい。どこかで
例えば家で同じように家族にあたったりした事は無かっただろうか。

いつもそう振り返る事が出来れば自分を成長させる事が出来るし心も
穏やかになり無駄なエネルギーを使わなくてすむようになる。僕自身も有難くない
縁に出くわした時は必ず自分を振り返り反省してみる。すると必ず腑に落ちる
事があるものだ。

何年も疎遠だった人と急に縁が深まった時は相手と自分の心の波長が近ずいた証。
逆に縁の深かった相手と疎遠になった時はお互いの波長が離れた証。

また心の波長が遠い人とはどんなにお近づきになりたくても縁が遠のいていく。
逆に波長が近い相手はどんなに嫌いで避けようとしても何度でも縁に
なるでしょう。このように人の縁にも法則があり、縁があなた自身の真の心を
教えてくれているのです。

また、あなたの心の波長の影響は人だけでなく物や場所に対しても働く。
例えばお金に執着の強い人はお金を引き寄せやすくなる反面、お金に終着の
強い泥棒なども引き寄せる事もあります。

良くも悪くも今のあなたに相応しい人が縁になります。世の中にはストーカー被害
にあった経験からや人間関係の悩みから人間不振に落ち入り人との関わりを
避けるようになってしまった人もいます。でも人は人との関わりの中でしか自分を
磨く事が出来ません。人間不振のループから抜け出す為にはまず、自身が普段
「人の気持ちになれなくなっていないか」振り返ってみる。それが第一歩です。

人の気持ちになれ、人の為になれ、いつもここ穏やかな自分になれればおかしな縁に
怯える心配などないのです。あなたが変わればあなたを取り巻く縁も変わってきます。

但しspiritualな事に盲信して何でもかんでもspiritualな事に関連付けて現実をしっかり
生きないようではダメ。そう言う人はspiritualな事を言い訳や逃げの道具にする。
普段の私生活に真っ向から取り組んだ上でspiritualな事はより生きがいある人生にする
為のエッセンスとして私生活に活かすものでなくてはいけない。

10/03

僕の両親は昔、僅か20才と19才という若さで生まれたばかりの
僕を育てながら食堂と下宿を経営していました。
まだ若かったという事もあったと思いますが短気で喧嘩っ早い父。
喧嘩で刑務所に入った経験もあります。渓流釣りが趣味で釣り
ばかりしてあまり遊んでもらった記憶がありません。
母は言葉は悪いですがアバズレ女という感じであまり常識のある
人ではありませんでした。丁度僕が小学校にあがる頃
夫婦仲が悪くなりました。

母はいつの日か飲み歩くようになり、酔っ払って帰ってきては
いつも毒を付くというありさまでした。そのうち母は何度も家を
飛び出しいつも行方不明になりました。見つかって家に戻っても
また家出を繰り返すのでした。

僕はまだ母親の愛情が必要な年齢だったので当時はとても寂しい思い
をしました。いつも見送ってくれる人も無く学校に行く足も重かった。
参観日や行事には自分だけ誰も来ない。運動会の練習の時は何度も
涙がこぼれました。

その頃の忘れられない思い出として父が夕飯を運んできてくれた
時の事。父は手を滑らせて味噌汁のお椀を倒してしまいました。
その時父はテーブルを思いっきり叩き怒鳴り声をあげました。
子供ながらに父の辛い気持ちが心に突き刺さった出来事でした。

もう一つ母に土下座をして帰ってきてくれと頼む姿。
あの短気な父がです。それは僕や弟の寂しそうな日常を見かねての
行動だったのか、幸せな家庭を取り戻したいという強い願いだった
のか。その思い出は今でも僕の心に深く刻まれていて僕ら夫婦の
何度かあったもうダメかと思うほどの危機的な時期を乗り越えてきた
支えというか力になりました。最後まであきらずに頑張ってきて
今の僕の家族の幸せがあるのは父が見せてくれた生き様のお蔭です。

ある日、母は知人にある信仰宗教に誘われ通うようになりました。
そこで法華経というお釈迦様の説いた教えを学ぶようになりました。
ほどなく父もそこに通うようになりました。母はそんな器も無いのに
役をつけられ色々な悩みや苦しみを抱えて訪れる人の為に力になる
ため努力するようになりました。父も法華経の教えに魅せられ色々な
人の為に自分を役立てる人生を歩み始めました。

来る日も来る日も父と母は自らの幸せなど考える暇も無く人の為に
力を注いできました。そして父と母は変わりました。
家庭も円満になりました。今は信仰は引退していますが今では息子
である僕も一目おくほどの人格者です。

ここで一つ知ってほしい事があります。父と母はなぜ変わったのか。
そして幸せな人生を歩めるようになったのか。

それはけして特定の信仰宗教に入信したからでは無いという事。
それはただのキッカケで自分の生活も顧みず多くの悩みや苦しみを
抱える人の為に自分を役立てて来た結果なのです。人間は我を忘れ
人の為に自分を役立てれば役立てるほど人間性が磨かれていきます。
スピリチュアルな専門用語で言うと霊性が磨かれていくという事。
そしてその行いがめぐり巡って自分の所へ幸せとして帰ってくる
のです。実はこれは自然の摂理(法則)の一つです。

もう一つ、どんな宗教ももとは自然の摂理(法則)がもとになって
いてそこに人間的なものが付加されたものが宗教。だから教えの中
にズレや間違い、自然の摂理とは関係ないものも存在していて
盲目的な信仰になると色々な問題がおきてくる事が多い。
だから信仰を持つ人に求められるのは何でも頭から信じるのではなく
自らの道義心に照らし合わせ自分が正しいと思う事を信じる事が
大切なのです。

両親が幸せになれたのは自らがやっていた法華経にも純粋な
自然の摂理(法則)が多く存在しており、それに調和した生き方を
してきた結果だとも言えるでしょう。

僕の人生哲学であるスピリチュアリズムとも共通した教えもあります
がズレもありますので両親と議論すると噛み合わない部分もあり
ケンカになる事もあります(笑)それでも僕は人の為に努力してきた
両親が誇りであり尊敬しています。両親も僕の今の活動を言葉では
語らずともリスペクトしてくれているよう。

実は僕の父親は人生で三度、難病や病気になった事があります。
最初は若い頃、甲状腺の病気で体の自由がきかなくなる難病になり
治らないと言われていましたが、克服した経験があります。
もう一つは頭蓋骨と脳の間に血がたまる病気になり、後遺症や
死んでもおかしくない状況だったのに手術で奇跡的に回復しました。

3つ目は現在で後で書きますが父がこれほどまでいくつもの難病に
かからなければならなかったのか?
そして何故、奇跡的とも言える回復が出来たのか?

父は若い頃から悪い事もそれないりにしてきたし、釣りと魚のはく製
作りが趣味でたくさんの魚の命を奪ってきました。たぶんそれが
自らに帰ってきているのだと僕は思っています。

僕も父の影響で若い頃釣りが趣味の時期がありましたが
今は辞めました。それはスピリチュアリズム(自然の法則)を学ぶよ
うになり、それがどういう事なのかを知ったからです。

頑固な父ですから、やめろと言ってもやめる人ではありません。
持ち帰って食べてるんだからいいだろうと言います。

じゃあ漁師はどうなの?と思う人もいると思いますが、ポイントは
「動機」なのです。漁師は生活する為、生きる為に必要な仕事として
魚を取り、そして我々消費者は魚の命を頂いている訳です。
でも釣りはいくら食べると言っても動機が趣味であり、釣ることが
動機でここに大きな違いが生まれるのです。趣味の為に魚に痛い
思いをさせ、命を奪う事は良い事ではないと言う事です。

釣りの趣味の方も多いと思いますがスピリチュアリストとして
アドバイスさせて頂ければ出来ればしない事にこした事はありませんが
自分も経験者ですから釣り好きの気持ちは良くわかります。
魚はリリースが基本。日常をより豊かで楽しく過ごす為に釣りという
趣味を通して魚達に少し痛い思いをさせてしまっているという事を
忘れず感謝の気持ちを持ちましょう。そして意識して人の為に
世の中の為に自分の出来る事で自らを役立てる事。

そして、父の病気になってまで自らに強く帰ってくる原因はもう
一つあります。それは父が法華経を学び自然の摂理に精通した人間
であるという事。知識には責任が伴うのです。自然の摂理を熟知する者
は調和した生き方さえ出来ればその恩恵にあずかる事が出来る反面
逆行した生き方には知らない人の何倍もの罪の代償として自分に
帰ってくるものなのです。

だから僕も悪い事は出来ません。石ころをけっただけでも
上から大きなたらいが落ちてきて「痛って~~!!!」という
イメージでしょうか(笑)僕もたまには頭に血が上って心無い事を
してしまう事もあります。そんな時即座に何倍にも増幅されて
自分に帰ってきます。そこで反省する訳です。
「あーそうか・・・未熟だったなあ、でも痛すぎ><」ってね(笑)

話を父に戻します。では何故、父は難病を2度も克服できたのか。
それは父が歩んできた人生、悩みや苦しみを抱えた人の為に自らの事も
忘れ必死に力になってきた事が難病の克服として自らに帰ってきたと
言えるのではないかと思います。

父は現在、3度目の難病「後縦靭帯骨化症」という脊柱の後縦靭帯が
骨化し増大し脊髄の入っている脊柱管が狭くなり、神経根が圧迫されて
知覚障害や運動障害等の神経障害を引き起こす病気です。もうかなり
進行していて普通に生活できている事が奇跡なのだそうだ。10月に手術
を予定していますが脊髄という神経の集まるデリケートな場所の手術の
為、札幌からその手術の権威に帯広に来て頂き手術します。
それでも難しい手術で手術後、首が動かせなくなったりマヒなどの
後遺症が残る確率も高いとのこと。

何とか完治してほしい所です。しかし自然の摂理(法則)は絶対です。
そこに恩赦というものはありません。良くも悪くも自身の生き方が
帰ってくるもの。今の自分は過去の自分の生き方の結果であり
将来の自分は今の生き方次第なのです。



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