最新スピリチュアリズムの記事一覧

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12/30


ウチは昨日が仕事納め。今日から3日間のお休みを頂きます。今年は自分にとってみじかな親族や知り合い、知り合いのご家族が多く亡くなった年でした。

僕にとっても悲しく淋しい年だったけれど死はけして不幸では無く、故人にとって死は旅の終わりであり、卒業。そこで人生が終わる訳では無く生きる側面が変わるだけ。その人の歩みは場所を変えこれからも続いていく。

大切な事は故人が生前、お互いの歩みの中でたくさんの様々な経験や学び、感動を与えてくれた事への感謝。

そして故人が安心できるような生き方をする事。故人無き後、供養の仕方や整理、相続などで親族で揉め事やトラブルなんて事も少なくありませんが、故人はこの世を去ってもその人はその人。何も変わる訳でも特別な存在になる訳ではありません。

供養とは線香を手向ける事でも経を読む事でも供物をあげる事にあらず。真の供養とは新たな気持ちで前向きに、そしてぶれずに強く生きて行く事。幸せだと思える人生を歩んで行く事。又はその為に努力して行く事。

故人ならどうすれば安心してくれるだろう。どうすれば喜んでくれるだろう。そう考えれば供養とは何なのか、どうすれば良いか自ずとわかる。
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11/10

前々から欲しい靴があった。自分に会うサイズがなかなか無かったがなんとか
ネットショップで見つけた。よくネットショップを利用するが、詐欺も少なくないので
いつも細心の注意を払って買物するようにしている。

所がよく調べてみると詐欺サイトだという事が分かった。世の中には平気で金銭を
騙しとろうとする者がいる。勿論そういうものに騙されないように普段から色々
学んだり細心の注意を払う事が大切だが、そう言う縁に会わないようにする
一番の方法がある。

それはあなた自身の人間性を磨くこと。縁と言うものは自然の法則(摂理)に支配
されている。類は友を呼ぶと言うことわざがあるが、昔の人は何だかよく分からないが
縁とはそう言うものだと言う事を肌で感じていたのかもしれません。
「最近、嫌な人と関わる事が多い」とか「自分の周りでロクでもない人ばかり縁になる」
などと言う人は何故そうなるのかと言えば、それはあなた自身が
ロクでもないからなのである。

あなたと縁になる人は必ず、あなたと同じものを心に内在した人であり
良い縁も悪い縁もあなたの心の反映であるのです。心にはその人の人間性に
応じた波長があり、その時の精神状態によっても変化する。例えば外出先で
運悪く機嫌の悪い人に出くわし、ちょっとした事で怒鳴られたとする。そんな時
相手を恨む前に今の自分、少し前の自分を振り返ってみてほしい。どこかで
例えば家で同じように家族にあたったりした事は無かっただろうか。

いつもそう振り返る事が出来れば自分を成長させる事が出来るし心も
穏やかになり無駄なエネルギーを使わなくてすむようになる。僕自身も有難くない
縁に出くわした時は必ず自分を振り返り反省してみる。すると必ず腑に落ちる
事があるものだ。

何年も疎遠だった人と急に縁が深まった時は相手と自分の心の波長が近ずいた証。
逆に縁の深かった相手と疎遠になった時はお互いの波長が離れた証。

また心の波長が遠い人とはどんなにお近づきになりたくても縁が遠のいていく。
逆に波長が近い相手はどんなに嫌いで避けようとしても何度でも縁に
なるでしょう。このように人の縁にも法則があり、縁があなた自身の真の心を
教えてくれているのです。

また、あなたの心の波長の影響は人だけでなく物や場所に対しても働く。
例えばお金に執着の強い人はお金を引き寄せやすくなる反面、お金に終着の
強い泥棒なども引き寄せる事もあります。

良くも悪くも今のあなたに相応しい人が縁になります。世の中にはストーカー被害
にあった経験からや人間関係の悩みから人間不振に落ち入り人との関わりを
避けるようになってしまった人もいます。でも人は人との関わりの中でしか自分を
磨く事が出来ません。人間不振のループから抜け出す為にはまず、自身が普段
「人の気持ちになれなくなっていないか」振り返ってみる。それが第一歩です。

人の気持ちになれ、人の為になれ、いつもここ穏やかな自分になれればおかしな縁に
怯える心配などないのです。あなたが変わればあなたを取り巻く縁も変わってきます。

但しspiritualな事に盲信して何でもかんでもspiritualな事に関連付けて現実をしっかり
生きないようではダメ。そう言う人はspiritualな事を言い訳や逃げの道具にする。
普段の私生活に真っ向から取り組んだ上でspiritualな事はより生きがいある人生にする
為のエッセンスとして私生活に活かすものでなくてはいけない。

10/03

僕の両親は昔、僅か20才と19才という若さで生まれたばかりの
僕を育てながら食堂と下宿を経営していました。
まだ若かったという事もあったと思いますが短気で喧嘩っ早い父。
喧嘩で刑務所に入った経験もあります。渓流釣りが趣味で釣り
ばかりしてあまり遊んでもらった記憶がありません。
母は言葉は悪いですがアバズレ女という感じであまり常識のある
人ではありませんでした。丁度僕が小学校にあがる頃
夫婦仲が悪くなりました。

母はいつの日か飲み歩くようになり、酔っ払って帰ってきては
いつも毒を付くというありさまでした。そのうち母は何度も家を
飛び出しいつも行方不明になりました。見つかって家に戻っても
また家出を繰り返すのでした。

僕はまだ母親の愛情が必要な年齢だったので当時はとても寂しい思い
をしました。いつも見送ってくれる人も無く学校に行く足も重かった。
参観日や行事には自分だけ誰も来ない。運動会の練習の時は何度も
涙がこぼれました。

その頃の忘れられない思い出として父が夕飯を運んできてくれた
時の事。父は手を滑らせて味噌汁のお椀を倒してしまいました。
その時父はテーブルを思いっきり叩き怒鳴り声をあげました。
子供ながらに父の辛い気持ちが心に突き刺さった出来事でした。

もう一つ母に土下座をして帰ってきてくれと頼む姿。
あの短気な父がです。それは僕や弟の寂しそうな日常を見かねての
行動だったのか、幸せな家庭を取り戻したいという強い願いだった
のか。その思い出は今でも僕の心に深く刻まれていて僕ら夫婦の
何度かあったもうダメかと思うほどの危機的な時期を乗り越えてきた
支えというか力になりました。最後まであきらずに頑張ってきて
今の僕の家族の幸せがあるのは父が見せてくれた生き様のお蔭です。

ある日、母は知人にある信仰宗教に誘われ通うようになりました。
そこで法華経というお釈迦様の説いた教えを学ぶようになりました。
ほどなく父もそこに通うようになりました。母はそんな器も無いのに
役をつけられ色々な悩みや苦しみを抱えて訪れる人の為に力になる
ため努力するようになりました。父も法華経の教えに魅せられ色々な
人の為に自分を役立てる人生を歩み始めました。

来る日も来る日も父と母は自らの幸せなど考える暇も無く人の為に
力を注いできました。そして父と母は変わりました。
家庭も円満になりました。今は信仰は引退していますが今では息子
である僕も一目おくほどの人格者です。

ここで一つ知ってほしい事があります。父と母はなぜ変わったのか。
そして幸せな人生を歩めるようになったのか。

それはけして特定の信仰宗教に入信したからでは無いという事。
それはただのキッカケで自分の生活も顧みず多くの悩みや苦しみを
抱える人の為に自分を役立てて来た結果なのです。人間は我を忘れ
人の為に自分を役立てれば役立てるほど人間性が磨かれていきます。
スピリチュアルな専門用語で言うと霊性が磨かれていくという事。
そしてその行いがめぐり巡って自分の所へ幸せとして帰ってくる
のです。実はこれは自然の摂理(法則)の一つです。

もう一つ、どんな宗教ももとは自然の摂理(法則)がもとになって
いてそこに人間的なものが付加されたものが宗教。だから教えの中
にズレや間違い、自然の摂理とは関係ないものも存在していて
盲目的な信仰になると色々な問題がおきてくる事が多い。
だから信仰を持つ人に求められるのは何でも頭から信じるのではなく
自らの道義心に照らし合わせ自分が正しいと思う事を信じる事が
大切なのです。

両親が幸せになれたのは自らがやっていた法華経にも純粋な
自然の摂理(法則)が多く存在しており、それに調和した生き方を
してきた結果だとも言えるでしょう。

僕の人生哲学であるスピリチュアリズムとも共通した教えもあります
がズレもありますので両親と議論すると噛み合わない部分もあり
ケンカになる事もあります(笑)それでも僕は人の為に努力してきた
両親が誇りであり尊敬しています。両親も僕の今の活動を言葉では
語らずともリスペクトしてくれているよう。

実は僕の父親は人生で三度、難病や病気になった事があります。
最初は若い頃、甲状腺の病気で体の自由がきかなくなる難病になり
治らないと言われていましたが、克服した経験があります。
もう一つは頭蓋骨と脳の間に血がたまる病気になり、後遺症や
死んでもおかしくない状況だったのに手術で奇跡的に回復しました。

3つ目は現在で後で書きますが父がこれほどまでいくつもの難病に
かからなければならなかったのか?
そして何故、奇跡的とも言える回復が出来たのか?

父は若い頃から悪い事もそれないりにしてきたし、釣りと魚のはく製
作りが趣味でたくさんの魚の命を奪ってきました。たぶんそれが
自らに帰ってきているのだと僕は思っています。

僕も父の影響で若い頃釣りが趣味の時期がありましたが
今は辞めました。それはスピリチュアリズム(自然の法則)を学ぶよ
うになり、それがどういう事なのかを知ったからです。

頑固な父ですから、やめろと言ってもやめる人ではありません。
持ち帰って食べてるんだからいいだろうと言います。

じゃあ漁師はどうなの?と思う人もいると思いますが、ポイントは
「動機」なのです。漁師は生活する為、生きる為に必要な仕事として
魚を取り、そして我々消費者は魚の命を頂いている訳です。
でも釣りはいくら食べると言っても動機が趣味であり、釣ることが
動機でここに大きな違いが生まれるのです。趣味の為に魚に痛い
思いをさせ、命を奪う事は良い事ではないと言う事です。

釣りの趣味の方も多いと思いますがスピリチュアリストとして
アドバイスさせて頂ければ出来ればしない事にこした事はありませんが
自分も経験者ですから釣り好きの気持ちは良くわかります。
魚はリリースが基本。日常をより豊かで楽しく過ごす為に釣りという
趣味を通して魚達に少し痛い思いをさせてしまっているという事を
忘れず感謝の気持ちを持ちましょう。そして意識して人の為に
世の中の為に自分の出来る事で自らを役立てる事。

そして、父の病気になってまで自らに強く帰ってくる原因はもう
一つあります。それは父が法華経を学び自然の摂理に精通した人間
であるという事。知識には責任が伴うのです。自然の摂理を熟知する者
は調和した生き方さえ出来ればその恩恵にあずかる事が出来る反面
逆行した生き方には知らない人の何倍もの罪の代償として自分に
帰ってくるものなのです。

だから僕も悪い事は出来ません。石ころをけっただけでも
上から大きなたらいが落ちてきて「痛って~~!!!」という
イメージでしょうか(笑)僕もたまには頭に血が上って心無い事を
してしまう事もあります。そんな時即座に何倍にも増幅されて
自分に帰ってきます。そこで反省する訳です。
「あーそうか・・・未熟だったなあ、でも痛すぎ><」ってね(笑)

話を父に戻します。では何故、父は難病を2度も克服できたのか。
それは父が歩んできた人生、悩みや苦しみを抱えた人の為に自らの事も
忘れ必死に力になってきた事が難病の克服として自らに帰ってきたと
言えるのではないかと思います。

父は現在、3度目の難病「後縦靭帯骨化症」という脊柱の後縦靭帯が
骨化し増大し脊髄の入っている脊柱管が狭くなり、神経根が圧迫されて
知覚障害や運動障害等の神経障害を引き起こす病気です。もうかなり
進行していて普通に生活できている事が奇跡なのだそうだ。10月に手術
を予定していますが脊髄という神経の集まるデリケートな場所の手術の
為、札幌からその手術の権威に帯広に来て頂き手術します。
それでも難しい手術で手術後、首が動かせなくなったりマヒなどの
後遺症が残る確率も高いとのこと。

何とか完治してほしい所です。しかし自然の摂理(法則)は絶対です。
そこに恩赦というものはありません。良くも悪くも自身の生き方が
帰ってくるもの。今の自分は過去の自分の生き方の結果であり
将来の自分は今の生き方次第なのです。



07/11

feather
僕には飲食店経営者としての顔ともう一つ違う顔があります。
僕の名刺の裏にもう一つの肩書きがあるのを見た事がある人も
いるともいますが

もう一つの顔それは「スピリチュアリスト」

スピリチュアリストとはスピリチュアリズムという人生哲学
を深く理解しそれを人の為に役立てる人の事を言います。
スピリチュアルというと占いとか宗教とか霊視とか
一緒くたにして偏見を抱く人がいますが、僕のはあくまで
スピリチュアリズムで簡単に言うと大自然の法則の事を言います。

よく霊能力者と間違われますが霊能力者=スピリチュアリスト
ではありません。もちろん霊能力者でもスピリチュアリストの人
はいますしスピリチュアリズムを全く理解できていない霊能力者
も存在します。

万物はすべて大自然の法則の上に存在しています。皆さんも
自然界の営みに誰が考えたものでもないのに生命はお互いが調和
しあい見事な法則の上に成り立っていると感じた事はありませんか?

代表的な大自然の法則をあげますと
「自ら蒔いた種は自らが刈り取らなければならない」という法則。
あなたの行動は良い事も悪い事も必ず自分の所に帰ってきますよ
という法則です。これを原因と結果の法則、または因果律という
言い方もします。

法則には目に見える法則もあれば目に見えずともれっきと存在している
法則があり、この法則は絶対です。恩赦などなく数学的正確さで必ず
働きます。

もう一つ「類は友を呼ぶ」という法則。あなたをとりまく縁はあなた
自身の心の波長が影響し縁になったり疎遠になったりしているという
法則です。どんなに嫌な相手と縁になってもそれは必ずあなたの心と
同じものを内在している相手だという事。波長の法則とも言います。

僕のスピリチュアリズムとの出会いは、若い頃色んな失敗や挫折
理不尽な事やとんだ災難や事故などを経験し、何でこんな運が悪いんだろう
とか人生って辛いんだろうと苦しんだのが始まりでした。あとは現代の宗教
への疑問や不信感。

その答えをくれたのがスピリチュアリズム。すべては自然の法則に調和した
生き方をするか逆行するか。ただそれだけの事だったのです。

独学で書籍で学び、自らの人生経験の中から体現したものを哲学として
いつの日か様々な悩みを持つ人の相談やカウンセリングを
するようになりました。

僕のスピリチュアリストとしての仕事(ボランティア)は基本的にどんな
悩みにでも相談を受けますが、家庭内の悩みや病気の悩み、特に精神疾患の
悩みに多く関わっています。また信仰を持っている人にその教えの何が正しく
何が間違いなのかを教えてあげるのも仕事の一つです。僕に出来る事は
自然の法則を教えてあげる事。その人の人生での出来事にどんな法則が
影響しているのかを教えてあげる事です。

よくそんな人の苦労まで背負うなんて信じられないと言われる事があります。
でもそれってちょっと違ってて、その人の苦労や悩みはその人自身が
乗り越えなくちゃいけないもので、何人たりとも他人の人生を肩代わりなど
出来きません。それがその人の人生での課題でもあるのです。
僕はただ道しるべとほんの少し肩を貸してあげるだけ。あとはその人が
どれだけ自然の法則を理解し調和した生き方が出来るか
またその人の努力や頑張り次第なのです。すべては責任主体だという事。

けして信じていれば救われるといったものではなく、あなた自身があなたの
意思で道を選び自らの意思で行動する事が大事。その中で良い事も悪い事も
失敗も成功もすべて学びです。経験を通して法則から学ぶと言う事です。

僕は相談者が誰であれ自分を頼りにしてくれる限り、絶対に見捨てません。
それでは相手を甘えさせるだけではと思われるかもしれませんが
僕はけして優しい言葉や慰めの言葉をかけるだけではなく、とくに
「甘ったれ」には容赦なく厳しい言葉もかけます。ですから依存心の強い人
にはその言葉と向き合う事が出来ずに離れる人もいます。でもその人が
自分の力で成長し、何かを克服出来た時にはまた暖かく迎えてあげます。
だからよく間接的に相談にのっていた人にある時、会う事があるともっと
コワイ人かと思ったとよく言われます (^^;

スピリチュアリズムは学ぶ事も大切ですがもっと大切な事は普段の
人生経験の中で悩み苦しみ失敗の中で体現し、自分自身の中で
確信を得る事です。

スピリチュアリズム(自然の法則)を知ると言う事は人生の裏に存在する
目的を知る事であり、なぜ生まれ何の為に生きるのかを知ると言う事。

人生での様々な恐怖心は先が見えない事による不安です。
スピリチュアリズムは理解する度に様々な恐れを無くし心の平静を
失わなくなります。それは物事の意味が理解出来るように
なるからなのです。

以前少しの間ですが勉強の為に江原啓之さんがやっているサポーターズクラブ
と言うスピリチュアリズムを学ぶ勉強会のようなものに参加していた事が
ありました。そこで毎月、自分の学びや成長、出来事などを発表する機会が
あるのですがそこで何万人もいる会員がいる中で2ヶ月連続で賞を頂いた事
がありました。

写真がその時に江原さんから頂いた記念品です。江原さんから直接メッセージ
も頂きました。ただのバッチですがそれが自分自身の自信もつながっています
しきっと僕のような者に頂けたのは「目に見えない存在」からの今の僕の活動
に対しての後押しのように僕には感じました。時には失敗や挫折もありますが
そんな時、いつもこのバッチを見て心を新たにし、また頑張れます。

これからも微力ながら人の為に自分を役立てる人生を生きていきたいと
思っています。そして一人でも多くの人が幸せな人生を送れますように
力になっていきたいと思います。

05/31

みなさんの中にもどうも親と折り合いが悪いと言う人がいるのではないでしょうか。
私の友達の中にも例えば一緒に商売をやりながら、性格が合わず毎日葛藤やストレス
をかかえている友達や過去のしがらみから親と絶縁状態の友達もいます。

私は両親との確執はありませんが、普段滅多に心の平静を乱さない自分を唯一乱して
くれるのが父親です。人間的に尊敬できる父親ですが、人並み外れた頑固さと
親としてのプライド。絶対に非を認める事のない性格が時に私の心の波長を乱します。

若い頃ほど衝突する事はなくなりましたが、今でもまれに衝突する事があります。
でも今は我ながら良い親を選んで生まれて来たとつくづく思います。というのは

どんなに嫌いな親でも葛藤を抱える親でも子供は親を選んで生まれてくるのです。
これを親と折り合いの合わない人に言うと「ありえない」と言います(笑)

そう思うのは当然でしょう。しかし、事実であり、これも自然の摂理の一つです。
ですから、どんなに嫌いな親でも恨んだり、境遇を悲観してはいけません。
あなたが望んで生まれて来たのです。

何故かという前にこの世に生まれてくる目的を知る必要があります。人はこの現世
に自らの魂を磨く為に生まれてきます。言い方を変えれば人間性を磨くために
生まれてくるのです。言わば、この世をその修行の場とする為です。

自分を磨くためには負荷が必要。何の苦労もない生活。なんの葛藤もない人間関係では
修行になりません。だからあえて葛藤を覚えるような親を選んで生まれてくるのです。

ですから、親への葛藤が強ければ強いほどその人は大きな志を持って生まれて来た
人であるという事が言えます。そういう親と喜怒哀楽を共にし、自らの人間性(霊性)を
磨く事がその人の人生での目的の一つであるということです。

また、親とは友達のような親和性が芽生えない事が多いものです。それは親と子供は魂の
上では遠い存在である事が多い為です。現世の家族という一見深い絆があるような所へ
生まれる為、そこにお互いの依存心が表れます。しかし魂の上では遠い存在であるため
そこに様々な葛藤が生まれるのです。

依存心と依存心のぶつかり合いの中でお互いが本当の意味で自立でき、お互いを
理解し、愛せるようになる為の現世でのパートナー。それが家族です。


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