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04/04

先週、離人症を克服した女性のお話を聞く機会に恵まれました。
離人症をもつ方とは多く関わってきましたが、その中でも克服できた方は
けして多くは無く、とても貴重なお話を伺う事が出来ました。

離人症が治りずらい原因に、まず病気の研究がされておらず、なるシステム自体が
良くわかっておらず、それ専用の薬も存在しない事。

そして、離人症になる方は色々な精神疾患の方々の中でも
認知のゆがみ(マイナスな思考)が特に強い人が多く、精神的なアドバイスやケア
をしてもなかなかそれを紐解いてゆけない事が多いと感じます。

どんな精神疾患も認知のゆがみが一番の原因で、生まれ持った素質や今までの
生い立ち、また過去のトラウマが関係しています。

逆に言えば人生経験においてうまく何らかの革命、革新、信念を持つことが出来き
今まで自分を苦しめてきたストレスの原因を排除する事が出来ればどんな精神疾患
も跡形もなく消えると僕は思います。


お話を伺い、自分自身が何に対して不安や恐怖、トラウマをかかえているのかを
知る必要があると改めて再認識しました。

僕も若い頃、何か気分が落ちこんで、もんもんとする事がありました。でも原因が
思い出せない。でも心が苦しい。脳は原因を忘れているのに心(魂)は忘れていない
と言いましょうか、自分の中でよーく考えていると
「あ、そうか、こんな事があったんだ」と思う事がよくありました。
そして気持ちが落ち着きます。

僕が離人症の方々と関わってきて思った事は、ご本人自身も何に不安、恐怖
トラウマにストレスに感じてきたのかを忘れている、もしくはわかっていない
場合が多いという事

今一度、過去の自分と向き合い自分の中にあるネガテイブなものを紐解いていく必要
があるのではないかと思いました。実はそれらは本当は悩むべきものではなく、ただ
捉えかた自体がマイナス思考だっただけだという事がわかればきっと病気の克服に
大きく前進するのではないかと僕は思います。

ただ、誰かがあるきっかけで離人症を克服できたとしてもそれはそのまま誰にでも
当てはまる訳ではなく、人それぞれ原因も克服する方法も様々で自分の中で
みつけて行く以外にありません。

話を伺った女性は今はとても明るく前向きで生き生きしています。彼女曰く
「離人症には今はとても感謝しています。」とのこと。
きっとその経験があればこそ今の幸せがあるのでしょう。

03/01

G
私がまだ会社務めだった頃の話。一人の女の子が部下として入社してきました。
その子はまだ17歳でいわゆる不良少女でした。正直、とても手を焼かされました。
毎晩のように夜遅くまで遊び歩いて、次の日はまったく仕事にならなかったり
未成年なのにタバコは吸うし、お酒は飲むし、とてもここで書けないほどの
悪い事や過ちを繰り返し悩みの種でした。でも、そうやって自分を制御できない
その子にも良い部分がたくさんあって、どこかほおっておけなくて何とか
更生して幸せな未来を歩めるようにと目をかけてきました。

ある時、日ごろの無理がたたって僕が病気になり会社を何日間か休まなくては
いけなくなりました。自分がいない間にその子は何らかの人間的なトラブルで
会社を辞めてしまいました。

このままでは間違いなく彼女はどん底に落ちていくと思われました。しかしそれ以来
連絡もとれず、どこで何をしているのやら時々心配しながらも年月が流れて行きました。

そして先日、なんと20年ぶりに彼女から連絡が来ました!私の予想した通り、彼女は
塀の中にお世話になったり、自分が歩んできた生き方の代償で波乱万丈の人生を
歩んできたようでした。そしてその代償は体の病気としても現れ、今も苦しんでいる
とのことでした。

それでも久しぶりに電話でも話し、昔の懐かし話で盛り上がりました。声は昔のまま
でしたが正直、成長したなあ。大人になったなあと思いました。

彼女のブログも教えてもらい拝見しましたが、彼女なりに間違い、失敗、悩み、苦しみ
などさまざまな人生を経験し、それが彼女を大きく成長させていました。

ブログの中には彼女自身が様々な波乱万丈な経験の中から一つ一つ見つけてきた人生哲学
を見る事が出来ました。その中には僕も「へぇぇ〜」と感心してしまうほどのものも
ありました。それは彼女が悩みや苦しみながら悟ってきたまさに自然の摂理と
言えるものでした。

僕はつくづく、良くも悪くも人間は経験が一番大事だなあと再認識しました。
消極的に生きるよりどんな経験でもする事が大切だと。勿論、良い事だけでなく彼女は
病気として代償を背負ってしまいましたが、一方で彼女は多くの事を学び人間として
大きく成長していました。

彼女のブログにこんな一節がありました。
「早く完治させて人の役に立てるようになりたいな」
この言葉を見たとき、何だか嬉しくて目頭があつくなりました。

20年ぶりに出会えたのも、これも必然なのでしょう。彼女はけして規則正しい
生活習慣を送っていないので、まだまだ健康になれる余地があるように思いました。
私生活では悩みや不安もあるようなので、少し健康面でもサポートしてあげようと
思っています。



02/09

誰もが一度は人を恨んだり、憎んだりしたことあるのではないかと思います。
私だってあります。子供の頃だったら、いじめられた時や悪口を言われた時など
青年時代だったら、陰口を言われたり、ひいきされた時など。大人になってからは
理不尽な思いをした時や騙された時など。

でも、そういう経験の中から皆、痛みを知り、優しさや思いやりを学んで行きます。
そうやって一人前の大人へと成長していきます。

私自身は今は人を恨む事は殆どありません。それは人を憎んだり恨んだりする事の
恐ろしさを学び、そして経験の中からそれを目の当たりに見てきたからです。

人を恨む、憎むという行為はの反対の行為と考えて間違いないと思います。
愛は自然の摂理、法則に調和した生き方であり、恨みや憎みは自然の摂理、法則に
逆行した生き方であると言えます。

愛に生きれば、幸せと健康と平和を生み、恨みや憎みは不幸と病気と争いを生みます。
実に単純明快な大自然の法則ですが、それがなかなか出来ないのが人の常。

では、恨みや憎むという行為が私たちにどういうものをもたらすのか
具体的に説明します。

まず恨みや憎む心を抱くと、ストレスを生み体の調和を乱します。それによって
様々な病気の原因となります。またケガもしやすくなりますし、心の余裕が
なくなり、事故なども起こしやすくなります。

次に恨みや憎みが負のカルマを生み、いつか自らも恨まれ憎まれる事になるでしょう。

そしてその思念は心の波長を下げ、それに相応しい縁を引き寄せます。同じように人に
恨みを持つような人と縁になり、トラブルや良くない事を招きやすくなります。
その縁は人だけでなく土地や行く場所にも影響します。たとえば引っ越しをしたら
悪いエネルギーの場所に住む事になってしまうなど。

また、その低く、じめじめした心の波長は生きた人間だけでなく、同じような恨みや
憎みを持ちこの世を去った未浄化霊に憑依される事にもなります。

それによって、運の悪い事ばかりおこるようになったり、体調を崩すようになったり
時にはその憑依霊によってその恨みの念が増幅され、間違いを犯してしまう危険性
もはらんでいます。

どうですか、あなたはこれでも人を恨んだり、憎みたいと思いますか?私には
そんな恐ろしい事にはなりたくないし、自分にとってマイナスでしかありませんから
絶対に恨みたくありません。

でも、何か理不尽な思いをさせられた時などは誰でも人を憎む気持ちが湧いてくる
ものです。そういう時こそ、その人の人間性が重要になってきます。

相手を理解したり、許したり、それを自分の事として謙虚に受け止められる感性。
何故なら、そういう恨みを持つような相手と縁になる事もまた自分の心の波長が
招いているとも言えるからです。そういう感性を持てるかはどうかはその人が
どれだけ本当の愛を理解できているか、どれだけ自然の法則を理解しているかに
かかっています。それが出来れば恨みは消え、あなたは一歩も二歩も自分を
成長させる事が可能になるでしょう。

01/26

愛と言う言葉がありますが、愛にも色々あります。恋愛や友達愛、家族愛
など。みんな愛と言う言葉を気軽に使う為、その意味も軽くとられがちですが
実は本当の愛を実践する事はなかなか簡単な事ではありません。

本当の愛とは利己的なものや自己愛を全く含まずにただひたすらに人を思いやる
心、人の為になりたいと思う心を言います。見返りを期待する愛も愛とは
言えません。愛は与えるだけ。また愛は押し売りしない。自慢もしないもの。

人間はどんなカタチの愛にしろ、ついそこに利己的な愛が混じってしまうものです。
恋愛だと自分の都合の良い愛であったり、自分の寂しさをうめる為の愛であったり   
自分の欲求を満たす為の愛だったりただ単に動物的な本能である場合もあります。
それを愛だ、愛だと言っても実はそれは真の愛とは言えないものなのです。

家族や子供に対する愛も同じで一心に思う愛の中にも、そこに利己的な本来ならば
愛と呼べない「偽物の愛が」まじってしまう事があります。親の理想を満たすだけの
愛であったり、子供を私物化する愛であったりと。

他人に対しても自分では愛だと思っていても、そこには良く思われたいという思い
があったり、地位や名声の為だったりと自分でも気付いていない場合もあります。

自分の愛が本当の愛かどうかを見極めるコツは、それが真の愛ならば必ず
相手から愛として帰ってきます。物事がうまくいかないという時は愛だと思っても
自分の中に利己的な愛が混じっていると考えて間違いありません。

また言葉で愛を語るのは簡単ですが、愛には行動がともなっていなければ愛とは
呼べません。愛は実践してこそ初めて愛と呼べる性質のものだからです。

でも愛を実践する為には真の愛とはどういうものなのかを定義できていなければ
なりません。では、どういうものが愛と呼べるのか。それは、本当の意味で
相手の為になっているか、そしてそれが相手の霊性(人間性)の向上を一心に
思うものであるか。それが大事。優しくする事、何でもしてあげる事、依存させる
だけのものは、本当の優しさや愛ではないという事です。相手を思えばこそ時には
厳しい言葉もかけなければならない事もあるという事です。

とはいえ、本当の愛を理解し実践する事は容易な事ではありません。なかなか出来る
事ではないです。その道も地道で根気のいるものです。なぜなら、その愛を学び
実践できる感性を身につけていく事こそが人生の最大の目的であり、この世に
生をうける意味であるからです。

本当の愛を知る近道は無く、それには長く豊富な人生経験が必要。特に苦しい思い
悲しい思い、辛い思いは必須です。病気の人の苦しみがわかり、愛を注げるように
なるには自分も同じような経験が必要。いじめられている人の本当の気持ちになる
ためにも同じような体験が必要。このように人間は様々な喜怒哀楽を経験しながら
でしか霊性(人間性)を磨き、思いやりや愛を学ぶ事が出来ないのです。

実はそれこそがこの世に様々な苦難がある意味なのです。そしてすべての人が
少しでも本当の愛を学ぶ為にそのような場所に生まれてくるのです。言わば
「愛」はすべての人間にとっての人生での共通したテーマだと言えるでしょう。

ですから、あなたは生まれて来た時代、国、町、親、兄弟、性別これすべて
あなたが選んで生まれて来たのです。自分が愛を学ぶに最もふさわしい場所へと
自分の意思でこの世に降り立ったのです。

新年

カテゴリ:人生哲学

01/03

皆様、あけましておめでとうございます!今年もよろしくお願いします!
みなさんにとって昨年はどんな年でしたか?私は変化の年、出会いの年でした。
今年は色々な意味で飛躍の年にしたいなあと思っています。

今年はどんな人と出会い、どんな経験をし、どこまで自分を高められるか
今からワクワクしています。

あなたを磨いてくれるのも、あなたを成長させてくれるのも
あなたに道しるべを運んでくれるのも、あなたに幸せを与えてくれるのも
それは人との出会いです。

恐れず、悩まず、勇気を出して前を向いて歩んで行きましょう。そうすれば
必ず道はひらけるでしょう。

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